実のところ私は、玄関の先に続く廊下が好きではない。
重たいドアを開け、のそのそ靴を脱ぎ、肩から提げた買い物袋を降ろして一息つきたいのに、廊下があるとそれができない。
もう少し先まで歩かなければいけないから、靴を脱いだときに脱力せず、最後の気合を入れなおす。
居間のドアノブに手をかけ、ぐっと押して身体ごとなだれこんで初めて、ああ、やっと帰ってきたと思う。
暑い季節の今など、玄関を開けて憎たらしい廊下を見ると、余計にげんなりする。
だから結婚するまでは、廊下のないアパートを選んで住むようにしてきた。
玄関ドアを開けたらキッチン、とか、居間、とかいう間取りの部屋である。
そういう部屋はたいてい玄関が広く作られていて、収納に困らないのも嬉しいポイントだった。
しかし廊下のないことを有益に感じていたのは、一人暮らしだったからかもしれない。
例えば、旦那が外から帰ってきたときのことを考えてみる。
気恥ずかしいのでいちいち出迎えることはしない。晩御飯の支度に勤しみつつ、耳をそばだて廊下の足音を聞いている。
それは途中で洗面所に寄ることもあるが、たいてい、まっすぐ居間のほうへ歩いてくる。
ガチャっとドアが開いて「ただいま」という声が聞こえたら、包丁を使う手を止め、旦那のほうを見て、「おかえり」と笑う。
相手のほうは、疲れた顔をしていたり、少し笑っていたり、その時々によって違うのだが、その顔を作るのに廊下が必要だということに最近、気が付いた。
外で見せる顔、特に仕事のときの顔は内で見せる顔と違う。
私も働いていた頃はそうだったし、日本の男の人は特にその傾向が強いのではないかと思う。
裏の顔と表の顔、本音と建前だ。
長い廊下があることによって、歩く間に、いわゆる外面を払い落とすことができるのではないだろうか。
たまに払い落としきれないときがあっても、少なくとも「ただいま」を言う余裕ができれば十分だ。
廊下の先で出迎える側は、さて今日はどんな顔で帰ってくるだろうと、期待と不安を持って待っている。
外面6、内面4だったら、今晩は余計なおしゃべりをせず、静かに寄り添おう。
外面3、内面7だったら、新しい下着が欲しいとおねだりしてもいいかなあ。
外面8以上なら、黙って冷えたビールを渡してあげたい。
あ、ビール冷えてたっけと冷蔵庫を開けたりしてる間に、ドアノブに手がかかった音がした。
さあ今日のただいまの顔は、どうだろう?

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