他者との距離感

最近は猛暑のため日が高いうちに買い物に出かけることができず、夕方17時ごろから動き出すことが多い。

先日、買い出しの帰り道に、公園のそばに差し掛かった時、手すりをつかんで足のストレッチをしている知らないおばさんに、突然声を掛けられた。

「月がきれいですね。」

ドキッとして見上げれば、丸みがかった月が煌々と夜道を照らしていた。

私は「めちゃめちゃきれいですね。」と返して、おばさんの返事を待ったが、彼女は聞こえているのかいないのか、ストレッチする足を入れ替えるとまた、月を眺めた。

異性だろうが同性だろうが誰かから「月がきれいですね。」と言われたら、返答に戸惑う人はどれくらいいるのだろうか。

私は無難に、「そうですね。」などとその台詞を肯定する言葉を選ぶようにしているが、相手に好意をもたれることのない、でも粋な返し方があるのなら、どなたかにご教示いただけたら嬉しい。

知らない人との会話も緊張する。

道を歩いていると、道案内で声を掛けられたり、駅では券売機の使い方を聞かれたりすることがある。いま流行りのドラマ「Tシャツが乾くまで」も、コインランドリーで小銭がないことから知らない人同士の会話が始まる。

時々は、「月がきれいですね。」のおばさんのように、自分の感動を誰かに伝えたくて、声を掛ける人がいる。私の場合、例えばスーパーの青果売り場で、隣から突然「このりんご、美味しそうねえ。」と言われたことがあった。

日々の往来で何度かすれ違う人とは、知らない人でも、ぺこりと頭を下げて挨拶したりする。

エレベーターに乗り合わせた、お母さんと手をつないだ子どもと目が合うと、にこっと笑いかけてくれる。

人と人との関係性の始まりは予測不可能である。どこにその種が転がっているのか、分からない。

上京したころは、東京人の関係性の冷たさを憎らしく、また、寂しく思った。

ある時、満員電車に乗っていて、ドアが開いたときにその場で倒れこんだお兄さんがいた。しかし皆、自分のことでいっぱいなのか、会社に遅れそうなのか、他人の厄介ごとに首を突っ込みたくないのか、倒れたお兄さんを迂回して降りて行った。

私と、近くにいたおばさんで助け起こして空いた席に座らせ、「大丈夫ですか。」と声を掛けると、青い顔をして「大丈夫です。」と言った。

駅員さんも来てくれたが、お兄さんは「大丈夫です。」と繰り返し、少し顔色も良くなったようだったので、私はお兄さんから離れてドアのそばに立ち、発車を待った。

周りの人から視線を感じた。大人げない皆の対応に憤りを感じて、悔しくもあり、涙が出てきそうだった。

関西の電車は、とにかくうるさい。

同じ車両に最低でも一組は、老若男女問わず大きな声でおしゃべりに興じている人たちがいる。

特急列車に迷い込んできたコオロギの話で、20分ほど盛り上がったおばちゃん3人組と乗り合わせた時には、感服した。

他にも、東京と関西の人間関係の違いで言えば、東京の居酒屋で、声を掛けてくる店主が少ない。

「いらっしゃいませ!」の挨拶や注文を取るときの会話はあるが、一元さんであれば尚更、それ以外の会話がない。

一方で関西では、「なんのお仕事されてるんですか。」とか、「お近くですか。」とか、何かしら踏み込んだ質問を投げられることが多い。その分、「お待ちどおさまです。」と料理を提供する際の声掛けも、心なし威勢がいい気がする。

久しぶりに帰省したとき、料理の提供が遅かったことを詫びて店の外まで送り出してくださった店主なんかもいた。

お客さんと濃密な関係を築こうとするのは、関西人の商売っ気の現れなのだそうか。

私が東京に出てきて今年で3年目。

電車の中で関西弁が聞こえてこないことに慣れ、居酒屋でプライベートに踏み込んでこない店主の対応を寂しく思うことは減った。

東京に染まったかなあ。

それでも、人と人との関係性の温かさは、忘れないようにしたい。

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