待ち合わせをして待つ間に本を読んでいたら、やって来た友人に、
「面白そうなの読んでるねえ。どこで見つけたの?インスタ??」
と聞かれ、苦笑した。
私が本を買うときは、特に欲しいものが決まっていない場合、最寄りの本屋に行き、並べられた背表紙をウインドウショッピングする。この時間がとても楽しくて、好きだ。
ざっと眺め、タイトルの気になった本や、お気に入りの作家さんの本があったら手に取り、目次と前書きを読む。
読みたいと思ったら、レジに向かう。買うほどではないと思ったら、買わない。
町の本屋が少なくなってきている令和の時代に、本屋で本を買うのは時代遅れなのだろうか。
今どきはインスタやTikTokなどのSNSで流れてきた本を、いいねしてamazonで買うのが正統派かもしれない。
最近、情報を一覧にして眺める機会が段々減ってきていると感じる。
思い出すのは、高校受験である。私のときは、合格発表は現地で行われた。
発表は9時か10時~だったと思うが、その時間まで掲示板の前で待つのが嫌だったので、時間ギリギリに到着するよう調整して家を出た。最寄り駅から高校まで向かう道中、これが最後になるかもしれないと、一歩一歩踏みしめて歩いたのを覚えている。
高校に到着すると、入って左手に、体感10メートルくらいの、白い紙で隠された大きな木の掲示板が立っていた。その前には様々な制服を着た人が立って待っていた。お母さんやお父さんと来ている人もいて、その度胸が羨ましかった。受かっていたらいいが、もし落ちていた時に、帰り道で気まずい思いをするのは嫌だった。
私は真ん中の後方で待機した。一度だけ、手元の受験番号を確かめた。
そわそわする間もなく時間になり、掲示板の脇に控えたスーツを着た先生方が一斉に白い紙をめくりあげた。
途端、キャーとかギャーとか嬉しい悲鳴や悲しい叫びが周りから聞こえてきた。
私のほうはと言えば、背伸びして人だかりの間から探そうとするも、掲示板にびっしりと並んだ数字が小さくて見えない。みんな見つけんの早いわ~と苛立ちながら、どこかで、まだ番号を見つけられないことに安堵する自分もいた。
人だかりがはけたら、そばに寄ってゆっくり探そうと決めたとき、近くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた。見ると、同級生とそのお母さんがいた。
同級生は、あーあかん、落ちたわと独り言を繰り返していた。
お母さんから結果を聞かれたので、
「いま探してます。」と言うと、
「探してあげる!何番?」と返ってきた。
「すみません・・・。」と番号を見せたものの、内心、受かっていたらどんな顔をしたらいいだろうかと悩んだ。
せめて先に見つけようと探していたら、「あったで!あった!あった!」と見つけられてしまった。
「おめでとう!」というお祝いの言葉にお礼を返すも、お母さんのそばでなんで落ちたんやろうと独り言ちている同級生の前で素直に喜ぶことはできず、遠慮気味に口角の下がったおかしな笑い顔になってしまった。
同級生と別れ、母に電話で合格の報告をして高校を出たら、
「あの制服を着たかった。」と泣いている子がいて、周りを見渡すと、学生が10人くらい、駅に向かって足取り重く歩いていた。
私はようやく一人になってスキップでもしたい気分だったのに諦めて、できるだけショックを受けているように見えるよう、トボトボ歩いて帰った。このとき、ふと、演劇部が向いているかもしれないと思い、そのあと本当に演劇部に入部した。
現在では、コロナをきっかけに掲示板での発表を辞めてオンライン上で結果を確認できるようにしている高校のほうが多いという。
一面に表示される掲示板方式も、葛藤のドラマがあって良かったけどなあと思う。
SNSやAIが流行って、知りたい情報にピンポイントでアクセスできるようになり、確かに便利な時代になった。
でも、そこからの情報だと、全体像が見えないと思う。
私は、せめてまだ本屋があるうちは、本屋に行って本を買いたい。

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